2024年1月4日に写真家の篠山紀信さんが83歳で亡くなっていたことがわかりました。
篠山紀信さんの前妻はジューンアダムスさんという方でした。
篠山紀信さんとジューンアダムスさんとの馴れ初めや離婚した理由について調査しました。
【顔画像】篠山紀信の前妻はジューンアダムスでハーフ美人
篠山紀信さんの前妻は、ジューンアダムスさんといいモデルをされていた方です。
顔写真をみていただいても分かるように、ジューンアダムスさんはとても容姿端麗な方で美人ですよね。
ジューンアダムスさんは、日本人とアメリカ人を両親にもつハーフで、当時は珍しいバイリンガルでした。
篠山紀信とジューンアダムスの馴れ初めは?
しかし、モデルと写真家というお互いの職業からも、仕事を通じて知り合った可能性が十分に考えられます。
ジューンアダムスさんは1971年の結婚を機に、モデル業は引退し専業主婦となりました。
その後2人の娘にも恵まれています。
篠山紀信さんとジューンアダムスさんの娘さん2人の年齢は結婚時期から想定すると、
になるのではないかと思われます。
篠山紀信の2人の娘の名前は「純子」と「紀生子」!?
篠山紀信さんの2人の娘さんはあの「天才バカボン」のキャラクターとなって登場したことがありました。
篠山紀信さん自身も「カメラ小僧」というキャラクターで「天才バカボン」に登場しています。
この「カメラ小僧」の子供として登場するのが「純子」「紀生子」で漫画の中では双子の男の子という設定になっていました。
篠山紀信さんは赤塚不二夫先生から、2人の娘を漫画に出させてほしいと頼まれ、このような設定が生まれたそうです。
篠山紀信さんをモデルにした「カメラ小僧」の妻の名前は、ジューンアダムスでハーフという現実と重なる設定になっています。
そのため、篠山紀信さんの娘さんの名前も本当に「純子」と「紀生子」なのかもしれません。
篠山紀信とジューンアダムスの離婚理由が衝撃!
篠山紀信さんとジューンアダムスさんは1976年に離婚しました。
しかし、離婚に関する噂は次のようなことが囁かれていました。
- 篠山紀信が多忙で家族の時間が持てなかった
- 篠山紀信がジューンアダムスにDVをしていた
- 篠山紀信がジューンアダムスの過激な写真を掲載し、これに不快感を示していた
詳しく下記でみていきましょう。
篠山紀信が多忙で家族の時間が持てなかった
当時から写真家としての才能を開花させていた篠山紀信さんは、とても忙しく自宅には殆ど帰っていなかったようです。
まだ小さかった娘さんとの時間も僅か数時間しかなく、篠山紀信さんは海外での仕事で多忙を極めていました。
育児もワンオペ状態でジューンアダムスさんが不満を募らせていたのではといわれています。
篠山紀信がジューンアダムスにDVをしていた
篠山紀信さんは、写真家として常に過激な作品を完成させていました。
時には「暴力写真家」といわれ、写真に対する執着や拘りが強いあまり、その矛先は当時の妻・ジューンアダムスさんに向けられていたともいわれています。
実際にDVがあったかは定かではありませんが、ジューンアダムスさんと篠山紀信さんの結婚生活は波乱万丈だったようです。
篠山紀信がジューンアダムスの過激な写真を掲載し、これに不快感を示していた
篠山紀信さんは1976年7月号の「決闘写真論」の連載で「妻」をテーマにジューンアダムスさんとの過激な写真を掲載していました。
写真集には、裸の写真も掲載されており、ジューンアダムスさんは不快感を持っていたといいます。
写真を撮影していた時期には既に、夫婦の関係は破綻していたそうです。
2人はこの後、1976年12月に離婚しました。
まとめ
篠山紀信さんはバツイチで前妻はジューンアダムスさんという方です。
ジューンアダムスさんとの離婚の原因には下記の噂があることがわかりました。
- 篠山紀信が多忙で家族の時間が持てなかった
- 篠山紀信がジューンアダムスにDVをしていた
- 篠山紀信がジューンアダムスの過激な写真を掲載し、これに不快感を示していた
これらは噂にすぎず、本当の離婚原因は夫婦2人にしかわからないものです。
篠山紀信さんのご冥福をお祈りいたします。